私がうつになった経緯②
こんにちはぴょんです! 今回も私がうつになった経緯を話します。前回の記事は『私がうつになった経緯①』です。
借金が判明し、母親は毒親で家庭環境は崩壊状態。ご飯も食べなくなり会話もしなくなりました。それでも学生生活は始まります。
実習が始まり、レポートとテスト勉強と。頭が良く無い私は人より2倍3倍勉強しないといけませんでした。・・・・・・今思うとそんなことなかったんですけどね(笑)
しかし、世の中は理不尽な物で。なんと学校でいう出席番号みたいなものがあるのですが。それが前半で奇数の人は1週間毎日授業がある。
後半で偶数の人は1日学校に来なくていいという、同じ学費を払って同じ課題をなされてるのに差が生まれてしまったのです。
もちろん、私的には休みがあった方が嬉しいです。 レポートだって書けたし遊べたし。
しかし、私は前半で奇数でした。
そして、当時できた彼女は後半で偶数。
もう何と無くお分かりでしょうか。 人にも、よりますが楽な方に人間は逃げて行きます。もちろん真面目な方は楽な方に行きつつもやることはやりますよ。
しかし、後半で偶数の方達は学校が1日無い日があるにも、関わらず、レポートは前半で奇数の私達のコピーし小テストも見せてもらい。
もちろん私の彼女もそういう人間でした。
当時はそれですごく喧嘩をしました。今思うと彼女は社会的な人間としては当然の立ち回りをして居たんだなと思います。良いことをしているわけでは無いですけどね。
彼女とも上手くいかず、レポートと勉強に追われ、家庭ではご飯も食べず話もせず。
そして学科長に直訴に行きます。色々とおかしいですよね? と。もちろん味方の先生も居ました。しかし、世の中は上が黒なら黒に染まります。
私は学科長と緊迫状態になりました。差別もされました。
例えば、彼女とぼくで同じ問題を対策して同じ解答をします。彼女は95点。私は85点。
このように、あからさまでは無いいやらしい差別をされました。
そして彼女はその結果に満足して居ました。
私はもう、何が正しいのかわからなくなりました。
睡眠時間を削り書いたレポートもコピーされ。差別もされ、家庭環境も悪く。体重は10kgも落ちました。
そして、夏休みの成績発表の時に彼女が再試験が無いと分かった途端に一言。
「さよなら。もう無理バイバイ」
と。
そして、私は泣きじゃくりました。バイトにも行かなくなり寝れなくもなりました。
うつ病になってしまったのです。
この時は、退学届けも書きましたし。もう、死のうともしてましたね。確か。
でもなんだかんだ色々な人に助けられてここで記事を書くことができてます。
この話から伝えたいことが少しだけあります。
貴方がそこまで頑張る必要はありますか? 少しだけ肩の力を抜きませんか? 誰かに文句を言われますか? それはその誰かが多分勝手に期待してるだけで、勝手に怒ってるだけなので貴方は力を抜いてください。もちろん、周りを不幸にしない程度に。それが難しいなら少しずつその、適当を見つけましょう。
そして、世の中は理不尽とか自分だけって思いますよね。
私もそう思います。貴方はそういう風に感じられなくなる人間になりたいと思いますか?
私は苦しいですけど、世の中の汚い部分長いものに巻かれたいとは思いません。
きっと貴方もそう思って闘っているのだと思います。だから、貴方は間違ってません。この世界も間違ってません。
貴方は貴方です。素晴らしい人間なのです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。